教育は「強者の理論」?
『キャリア教育 フォー ビギナーズ』#09

theory-of-the-strong キャリア教育のお勉強

引き続き 藤田晃之 著『キャリア教育 フォー ビギナーズ』を読んでの学び #09

今回の話は、この本を読んでいて、
自分の活動について、大きく考えさせられたことを書く

明確な答えが出ずに、悩みの吐露に終わってしまうかもしれないけど
書き始めてみたい

教育は「強者の理論」?

教育の一面として、次のような面があると

「強い個人」となり得る資質や環境に恵まれた子供を社会的に一層有利な立場とする結果を招き、同時に、そのような認識を持ちにくい子供(そうならざるを得ない環境や状況に置かれた子供)を切り捨てているのではないかという懸念や危惧が出されていることも事実です。

藤田 晃之. キャリア教育フォー ビギナーズ

教育は、歴史的に見て、ほとんど常に「強者」の側に立ってきましたし、社会的格差の再生産装置であると批判されてもきました。

藤田 晃之. キャリア教育フォー ビギナーズ

確かに そういう面もあるなぁ と

学校でキャリア教育をやる意義

日頃 仲間内で言っているのは
キャリア教育は、学校でやることに意義がある。
イベントとして行われるキャリア教育だと、そこに行けるのは、比較的裕福で そういう情報を得られる家庭の子。
そういう情報すら手に入らない、イベント会場まで行けない、そんな家庭の子にこそ、キャリア教育を受けてほしい

そういう思いで、キャリア教育を行っている

実際の活動

けど、その一方で
僕が、実際に授業を行う時は、次のように考えている

生徒を大別すると4つに分けられる。
A.自走できる子
B.背中を押してやれば、走れる子
C.走り出せない子
D.走ろうとすらしない子

生徒と関われる授業時間は、1時間か 2時間しかない

その長くはない時間の中で、できるだけ多くのことを伝えたいと思うから
Bグループをターゲットとして授業をしている

そう、ここに矛盾があるのだ

キャリア教育を受けてほしい と思っている子は
DやCのグループの子

でも、実際の授業では Bグループを想定して話をしている

Bグループに向けに話していても
他のグループにも伝わっているとは思うが
1・2時間では、Dグループの子にアプローチできない という気持ちは、正直ある

Dグループの子には、もっと 長い時間かけて関われないと難しい と思っている
思い込んでる

Dグループをメインターゲットにして話をすると
他のグループの子に響かないし、Dグループの子にも伝えきれず
誰にも伝えきれずに、1時間が終わってしまうのでは
という、怖さも感じている

まぁ、これは
完全に Dグループの子達を、見くびっている考えではある
(反省しないとな。。。)

今この時点で、すぐに 答えが出せたり、やり方を変えたりする訳ではないけど
せっかく、この本を読んで、このようなことに気がついて、考えるキッカケができたので
色々と試行錯誤しながら、どうやったら もっと良い授業ができるか考えていこう

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